福岡基本学習セミナー 志成館

楽しくのびのびと学べ 成績をしっかりと伸ばし、世界の全ての人々の幸せを願う優しさを備え、力強く魅力的な生徒の育成を目指して35年

パソコンの方は左右の各項目を、スマホの方は左上のメニューから興味のあるところをクリックしてください

館長の社会論 社会に臨む準備

志成館のこのホームページのいくつかの大前提

志成館のこのホームページの全てには、いくつかの前提があります。それは

(1)世界中のすべての人間を、同等に尊重する人間であること

   ・・・性別や年齢、人種や民族、国籍を有する人と無国籍の人、信じている宗教と宗教を信じない人間、貧富の差、学歴の違いその他の面での個人差を、個々の人間の個性として同等に評価し同等の人間として、「法の下の平等ではなく」「社会的な実質的平等」に尊重すること

(2)暴力ないし戦争という、人間が繰り返した悲劇をなくし、す

べてを「議論すること」によって解決を図るような社会を

つくりあげる努力をし続ける人間であること

(3)今や壊れつつある地球をもとの姿に戻し、生物である「人

類」が存続できる地球に戻す努力をすることができる人間で

あること

(4)喫緊の課題としての「核兵器の廃絶」を真剣に考えることが

   できる人間であること

(5)最新の科学技術の利便性と危険性を理解し制御することによ

って「人間」であることが失われない社会を維持すること

  今後いくつかの項目が追加されるでしょうが、多くの問題を抱えた現代社会で、人間が人間らしく生きていける思いやりに溢れる社会環境や、生物である人間が存続できる地球環境の維持や、人間が利便性や貪欲さによって生じさせた地球レベルの格差や差別をなくし、大規模の国際紛争や核戦争で人類が一気に消滅しないように即時に行動すべきであること、AIの時代で人類が最新の科学技術の発展に依存して本来の人間の誇りをなくさないような国際政治経済環境を維持し形成するという意識を持って、このホームページに接していただくことを願ってやみません。  

社会に挑(いど)む準備段階としての知識と教養

                                               旧版につき→改訂中20205

 「現在の社会のひどい姿」の項で、現代社会にはいろいろな楽しみがあるものの、多種多様な困難が存在することも少しはわかったと思います。君たちも今の「社会」との関係で日々いろいろなことで悩んでいることがあると思います。そこでこれらの困難とどのように立ち向かい、どのように考え行動するべきかという難問について考えるにはどのようにするべきかを伝えます。

まず一番大切なことは、世の中に起こっているいろいろな出来事の真実をありのままに知ることであると言えるでしょう。

 しかしこのことはとてつもなく困難なことであり、厳しいものであると言えるでしょう。一人の先生として、君たちにまず取っ掛かりの糸口になればと思ってこのホームページの項をはじめます。

 世界大恐慌の時のアメリカ大統領のフランクリン・ローズベルトのことは誰でも知っていると思いますが、その時の経済政策のリーダーが、近代経済学という学問分野の一理論である「ケインズ理論」を発案したジョン・メイナード・ケインズという名前のイギリスの経済学者です。かれは有名な「雇用と利子に関する一般理論」(下掲)の中で、「どのような経済理論をとるかで社会は一変してしまう、経済学理論はきわめて重大で、誠実な人間がその責任を担うべきである」と言っています。つまり「多くの人間が、人間とは、世界とは、自然とは、宇宙とは、そして幸せとは、豊かとは何かなどについて誠実にそして哲学的に学ぶことによってしか、平和で豊かな社会は望めない」と最後に書いています。そこで彼は「自分の事しか考えない人間や自分の企業の発展の事しか考えない強欲な人間や企業に世界のかじ取りは任せられない」と主張しているのです。さらに「諸国民の富」を書いて自由主義経済理論を唱えた、資本主義社会の最初の経済理論家であるアダム・スミスさえも彼の「道徳感情論」の中で、富裕層と貧困層が分かれ、大半の人々が貧困層に含まれ、独占が進み、自由がない「今のような富裕層と貧困層が分かれるような社会を認めた覚えはない」と墓の中で怒っていると思います。さらに「資本論」を書いて資本主義社会の構造そのものがペテンであると喝破したカール・マルクスは、墓の中で「そら見たことか、言わんこっちゃない」と軽蔑のまなざしで今の人間を見ていることが容易に想像できます。

君たちは、彼らの理論を学び、それを乗り越え、彼らが予想もしなかったような今の時代をしっかりと把握したうえで、世界中のみんなと協力して、学び、悩み、深く哲学的な思考をしながら、新しいより人間らしく住みやすい社会つくり上げるのが君たちの時代の仕事なのです。そのために基礎からしっかりと各種の理論を偏りなく学んでいくことが大切になります。

さあどこから学習をはじめ、知識と教養を身につけ、どのようにして次の時代をつくっていける人間に自分を作り上げるのか考えてみましょう。

まず最初にすべての「学問の体系」はどのようになっているのかを考えてみましょう

そこでまずはじめにジョン・スチュワート・ミ「大学教育について」という本の紹介をします。現在の欧米や日本などの先進国の「大学の学部や学科の構成」はじつは彼のこの本が基礎になっているのです。この本を読めば言葉の正しい意味での幅広い教養や知識というものが何を指すかを把握できると思います。大学での学問=科学は大きく分けて、人文科学と社会科学と自然科学の3分野に大別されます。どこの大学でもよいかと思いますが、国立の全学部が整っている総合大学の学部の構成を見てこのことを理解してください。そうしてこの3つの分野のどこの学部のどの学科に行けば何が学べるかを把握してください。そうすると「学問の大系」が理解できます。館長の大好きな大書店であるジュンク堂に行っても「学問の大系」がわかりますし、大きな図書館でも把握できます。このように学問の大系全体を把握することがまず大前提になります。大学に入学したあと、たいていの大学では「教養課程」という初期の学習段階がありますが、そこではこの学問の大系を理解してほしいということから、文系理系にかかわらず、すべての分野の学習をさせるのです。

そこで真の意味での幅広い教養や知識を身につけたいのなら、大学の1~2年の時に、学校のカリキュラムか彼の体系に沿ってまんべんなく広く学習することが最優先事項となります。早く専門的な知識を身につけたいと焦らずに、まず幅広い教養を身につけることを最優先するのです。立花隆さんから「今の東大生はバカになった」などといわれないように、お金にならない知識であっても何よりも幅広く学習するようにも頃掛けてください。そしてそのあとで、自分の専門分野の学習や研究にはいいっていくのです。

ミルがこの本の中で述べている「幅広い知識」こそが真の意味での「教養」と呼ぶに値する知識なのです。繰り返しになりますが、多くの大学に「教養課程」があるのは、この意味での教養を身につけさせるためなのですからこの時の学習をいい加減にしてはいけないのです。「今の東大生はバカになった」とよく言われるように、今の若い世代はアルバイトに精を出し、ゲームやコンパに追われているので、「教養を身につける」機会や意思や金銭的そして時間的な余裕がなくなったように思うのは私だけではないでしょう。

志成館では小中学生に「教養」を身につけさせようと悪戦苦闘しているのですが、これもまたある意味では、基本的知識さえを持たない人間に高度の知識を与えようという、無謀な指導であると、館長の森もわかってはいるのですが、館長には少し情熱がありすぎて本人も困っているのです()

ミルの本の概略を載せます

ジョン・スチュワート・ミルの名著「大学教育について」から

本日はジョン・スチュワート・ミルの本の紹介です。彼は多くの人々から人類史上最も素晴らしい人物の一人であると評価されていますが、この著作は名高き「セント・アンドルーズ大学名誉学長就任講演」の内容です。文学、自然科学、社会科学、道徳教育、芸術などの一般教養科目の意義を述べ、真理に基づいて正しく行動する意思の涵養(かんよう=養いそだてること)の大切さを説いており大学教育の原点について述べています。

彼はこの講演で「大学教育」の核心部分は「教養の育成である」と主張しています。大学での学習の前提となる基礎科目は中学や高校時代にすでに学んでおり、法学や医学や諸種類の専門科目ないし技術的な知識は大学以降にすればよいのであり、大学時代は、子供の時から学んだことやこれから習う知識を体系化し、そして自分の持つ知識を今後の人生で如何に使うかを学ぶ場所であると言っています。彼の言葉を借りると、大学とは、知識そのものではなく「知識の哲学を学ぶ場所」であるというのです。専門的な知識をいかにして「個人の精神の発達と民族の福祉に貢献させるか」「我々すべてに共通する人間性の強化、高揚、純化、洗練させるという目的に到達させるために使うか」を学ぶ場所であり、「人間が一生なすべき仕事に必要な精神的道具を供給するためにはいかに協調しあうべきか」を哲学する場所であるというのです。つまり大学生1年ないし2年の「教養課程」こそが大学教育の本質的な部分というわけです。当時私はそんなことがわかるはずもなく、「無駄なことをしないで早く専門的なことを教えてくれるように」と九州大学の教授に発言したことがあります。そんな折、会計学ゼミの服部教授が、「森君は何のために大学に来ているの」と聞かれたときに、「公認会計士になろうと思っています」と答えたら、「そんな目的で技術的なことを勉強するのなら、国立大学に来るべきではない、早稲田とかの私立大学に行きなさい」と言われた経験があります。一瞬驚きました。おそらく九大では公認会計士や弁護士には合格できにくいからそれが可能な大学に進みなさいという親心もあったのでしょうが、真意はすぐに理解できました。「技術的な知識は真の学問とは言わない」といわれたのです。それ以来私の、学習する理由は変わってしまいました。私の人生にとってこの経験が良かったのか悪かったのかは別にして、今でもこの教授の教えを大切にしています。先生が言われたのはこのジョン・スチュワート・ミルの考えそのものなのです。

ミルは勉強のし過ぎで精神病にかかりますが、それを治癒してくれたのが日本でも有名な詩人ワーズワースの詩集でした。そのことが彼の哲学に大きな影響を与えています。詩や和歌や俳句や古典などの人文科学が彼の人生を救ってくれたのです。成績が優秀で高度な知的仕事や責任ある仕事に従事する可能性が高い生徒ほど、絵や音楽だけでなく、文学などが大切であるのではないかと考えています。志成館の館長の私が「いい音楽を聴きなさい、美しい絵を見なさい、遠くへ出かける時にはいつも窓の外を見てゲームなどをするのではありません」といつも言っているのはこのようなことがあるからなのです。「願わくは、国の指導的立場にある人たちが、もう一度この知者の書物を読みなおしてくれることを」です。

私の個人的な意見として正直に申し上げますが、彼ら日本の愚かな指導者やいつもお金のことや株価などを気にして生活している強欲な企業家は、このような本を読んでいないのだと思います。つまり知識はあっても教養がないのです。ミルの言葉によると「無知のまま大学に入って、無知のまま大学を出て行っている」のです。もし彼らに少しでも本当の知識ないし教養があれば、今の文部科学省のような、人文科学や社会科学のカリキュラムを減らすなどという愚かな考えは浮かばないと思います。とくに政治的傾向や経済政策的な理由で真実があいまいにされ、人類の将来に暗雲が感じられる現代、そしておびただしい物質が飛び交う現在の文明の中で、もがき苦しんでいる子供たちの指導をしている私の経験からしても、むしろ子供の時から理数重視だけではなく人文科学や社会科学も重視する教育方針に変えていくべきであると強く感じております。   

201511月                 森 英行                     

  「志成館の社会論サイト」の目的は、「良書を幅広く紹介していくこと」なので今後館長が生きている限り()、書籍の紹介を、「本の表紙の張り付け」という形で補充し続けます。よろしく。

学習するということが何なのか、幅広い教養や知識の意味が分かったら

次はいよいよ「具体的な学問の」話に進みましょう

この後、館長の社会論サイトでは、「学問の体系」を少しずつ項目に分けて話します

まず「神への丸投げの人生をしないこと」が要求されます

すべての憎しみや争いや差別は「無知」に基づくものである

(はじめに)

 志成館の館長の仕事は学習塾の「先生」です。いつも君たちみんなの「成績が上がり」「行きたい高校や大学に進学」することができるように「日々の学習の手伝い」をしています。そして「希望の仕事ができるようになり」「希望の会社に入れたら」先生たちは、君たちのお父さんお母さんと同じように、「君たちが独り立ちできること」によって、親として先生としてやっと責任を果たせたことになり、ほっとひと安心できる気持ちになります。

 しかし君たち中学を卒業し高校そして大学を卒業して一歩社会に踏み出すと、目標や楽しみがたくさん生まれると同時に、自分や自分の家族や友人にいろいろ解決困難な問題が降りかかってきます。会社や地域社会、さらに大きく日本や世界の動きまでもがかかわるような大きな問題にも直面します。楽しいことはそのまま気楽に自由に楽しんでください。しかし降りかかってくる数多くの困難には慌てずに冷静にそして上手に乗り切る力と智慧が必要になります。そうすると「上手にそして楽しい人生を過ごし」「夢や希望を見つけそして実現していく」ためには、普段から、勉強だけではなく、いろいろな知識を身につけておく必要があるということに気が付きます。

 だから先生の本当の責任は、成績を上げるだけではなく、「君たちの人生を充実させ、幸せを感じられるものにすること」になります。ということは「よい先生」とは「君たち一人一人が幸せになれることにどれだけ役に立ったか」で判断されると思います。志成館の「館長の社会論サイト」は君たちが社会人として独り立ちし、このあとの長い人生を、まじめに、上手に、楽しく過ごし「充実した人生を過ごせる」ために「少しでも役に立つ知識を与えること願って」作りました。大げさに思える話や本当なのかと思う話や難しい内容もたくさんありますが、どれをとっても無駄なことはあまりないと思いますので読んでみてください。

(今の社会) 

まず、今の社会、今の世界を見渡してください。今の年代は夢と希望と楽しさに満ち溢れて生活している人もいるかもしれません。しかし、日々勉強に追われ、部活や習い事や学習塾などで時間に追われ、友達や親子関係で悩んでいる人の方が多いはずです。さらに自分のことだけではなく、周りの人たちの生活をみてみませんか。テレビや新聞やSNSで日本中や世界中で起こっていることを見てみませんか。身近には昨日もいじめで自殺した中学2年生のニュースが載っていましたし、経済的な理由や家庭内の問題で苦しむ子供たちもたくさんいます。広く世界を見回しますと、世界中では人種、民族、宗教、そして経済的な利権をめぐっての戦争や殺戮が続いており、それに巻き込まれて多くの子供たちが命を落とし、日本人もたくさん死んでいます。また大気や大地や海洋は汚染され、気象変動は不安定になるばかりですし多種類の動物が次々に絶滅しています。資源が枯渇するのもそれほど遠くはないでしょうし。世界中で仕事を求め生活を求めて移動する人々が後を絶たず、少数派の人々は差別や迫害を受け、君たちと同じ年齢の子供たちまでもが悲惨な生活を強いられています。先進諸国でも格差は広がるばかりで、仕事が厳しいことを理由とする離婚や子育ての放棄や家庭の崩壊、そして大きな事故や凶悪な犯罪は世界中で増えるばかりです。

このような社会の悪い面は変えていかなければなりません。より住みやすくしなければなりません。たとえ「今の自分には全く関係ない」から他人事だとほったらかしにしていても、将来のいつ「自分が同じような困難に遭うかもしれない」からです。また将来の君たちの子供の幸せまでも君たちは考えておくべきなのです。

世の中ではどうしてこんなことが起こるのだろうか、いったい社会の仕組みはどのようになっているのだろうか。「どうしていろいろな問題を大人たちは解決できないのだろうか」と思うでしょう。今の時代は複雑で真実が見えにくく大人たちも有効な方法を考えられないのです。

(さあ始めよう)

そんな時代だからまず「より住みやすい世界をつくろう」という決意をしてください。それと同時に「世界中の人たちと話し合い、連帯し力を出し合って協力をすれば明るい未来は可能である」ということを現実のものとして確信してください。そして今から行動を始めるのです。どこでもよいのです。しっかり学習して、どのようにすればよいのかを学んで、行動するのです。

そこで、まず「自然の法則」や「歴史の真実」などからはじめて基本的なことを身に着け、しっかりと学んで「真実を知り」「自分の可能性を信じ」、自分の幸せを求めることに全力を尽くすことが必要になります。人がいつまでも住める空気が保たれ、気候も安定し、資源にも不安がなく、人種や宗教や富をめぐる悲惨な争いのない世界にしようではありませんか。ジョン・レノンが名曲「イマジン」で訴えているように。この目的のためにしっかりと幅広い学習をして。これからは君たちの時代なのだから。

さあ始めよう。まず歴史から。

(宇宙と人類の誕生)

今から約137億年前

宇宙が誕生し

地球や月ができた

その地球に生命体が登場し

進化を重ねて

人類がおよそ500万年前に現れ

幾多の進歩を繰り返し

今の人間ホモサピエンスが地球上に登場する

食べ物を求め助け合い争いあって

1万年前氷河期が終わるころには人類は世界中に散らばっていった

日本人を含むモンゴロイドは南アメリカの最南端まで到達した

それぞれの地域で文明が発展していき

今から5000年くらい前にはメソポタミアやエジプトなどの地方で大きな統一国家が誕生する

このころから歴史を詳しく勉強するのはその頃の遺跡が目に見える形で残っているからである

(長い争いの歴史)

その過程でいろいろな戦いがあったろう

弓を使った戦いから馬車を使った戦いへと変化していった

しかし今から4000年前頃に鉄器の使用が世界中に広まるにつれて

戦いの方法も悲惨さもそれまでとは比較にならないほど残虐で大規模なものになっていった

地球上のどこで激しい戦が続き強いものが弱いものを支配していく長い争いの時代が来る

3000年以上にも及ぶ人類の歴史は争いの時代だった

その後の火薬の発明も、ノーベルによるダイナマイトの発明も、原子爆弾の発明も

結局は武力による強い人間による人類の支配、主導権争いの道具に使われる運命にあった

ヨーロッパではギリシャやローマ中心にさらにゲルマン民族やラテン民族の争い時代へ

その東のオリエントではペルシャを中心にそして紀元700年以降はイスラム帝国を中心に

アジアでは古くから中国やモンゴル中心に3000年ほど前から争いが激しくなる

いつの時代も覇者は贅をつくし繁栄を極める、それがとても短い期間であったとしても

他方では数多くの人々おもに農民はその支配者の威嚇におびえながらも懸命に生きていこうとする

世界中で多くの国が興亡を繰り返し

世界中で悲惨な戦いが繰り返されてきたのである

中国では秦が統一し項羽と劉邦が争うまでの間に人口が三分の一に減少する悲惨な時代である

その難を逃れて米つくりの技術とともに移り住んだのが弥生人すなわち今の日本人である

項羽と劉邦は格好良いと思うか戦国の覇権を争った暴君とみるかは君たちの自由である

アレキサンダー大王やシーザーをどのようにみるかは自由である

秀吉や家康をどのように評価するかは自由である

確実なことはそれぞれの地域でいくさに強いものがその住んでいる地域を暴力的に支配して

自分や一族や階級の利益と繁栄を求めて多くの人々を思い通りに支配をしてきたということである

ピラミッドやコロッセオの偉容に驚嘆し

万里の長城のスケールの大きさに圧倒されるのもよかろう

中世のヨーロッパの教会の美しさには心を奪われてしまうがよい

しかし感動をしただけでは君たちは必要なことの半分のことしか理解していないことになる

これらの建築にかかわった多くの奴隷や抑圧されている人々の苦しみや悲しみ

流されたおびただしい汗と血があることを知って初めてこれらの建造物の理解ができたと言える

もし君たちがその時代に生きていたらどのような悲惨な人生になったか考えてみるがよい

国王や君主などの支配者になることは確率上ありえないことは誰にでも理解ができよう

間違いなく奴隷の身分であったろう

その自分の姿が目に浮かばないなら君は無知であり盲目であると批判されても仕方あるまい

(宗教の役割)

そのような武力の時代に抵抗もできない人々は「せめて心の中だけは人間らしく生きていたい」と願った

人々は心の中で仏教やキリスト教やイスラム教などの「神」の力を借りそれを信じて人生を生き抜いた

東南アジアに残る仏教の巨大な遺跡や日本の華麗な仏教遺跡や建造物は素晴らしい

日本の仏像の優しい魅力にうっとりとし鋭いまなざしにふと自分を取り戻すことがあると思う

キリスト教ではローマのバチカンのサン・ピエトロ寺院の素晴らしさは神が存在すると思わせる

パリやケルンやザルツブルグの教会の美しさに誰もが圧倒される

イスラム教のモスクの美しさは格別である

どの建物にも弱い立場の人間が神にすがる強い執念と信心深い心が見えるではないか

それでもこれらの豪華な建築物によってその時々の権力者は自分の支配を正当化し威厳の維持してきた

多くの人々の心を従わせるために信仰心を利用したことに間違いはあるまい

しかしそれでも宗教がないただ単に武力だけの時代よりは「まだまし」だったのである

人々は「神」によって救われたのである

私たちは現在これらの信仰心の具現化された教会の素晴らしさを見るために世界中を旅行している

しかし私たちはこれらの建設に費やされた膨大な人々のエネルギーを理解しなければならない

建造の歴史的背景や目的を理解しなければならない

たとえ厳しい時代に生きているうちには良いことが全くなくても

死んだあと天国に行き神に祝福されるのなら厳しい現生でも我慢ができようというものである

神や宗教がない時代よりはまだましだったのである

しかしこのような歴史の流れの中でイスラムとキリスト教が同居し続けた東ローマそしてイスラム諸国家の中に現代を形作る「英知」が温存されていく

今では悲惨な戦争や飢餓に苦しむイランやシリアの地域にギリシャやローマ時代の文化を受け継ぎ

なおかつ東方と西方の文化を融合させた素晴らしい文化や科学が守られていったのである

そして東洋との交易に力を注いだ北イタリアの人々がこれを見つけ出し時代を変えていくのである

(ルネサンスの始まり)

「神」に頼った生活をしていたが神は一部の恵まれた人を除いて多くの人間を救ってはくれなかった

まさしく諺どおりに「天は自らを助ける者しか助けてくれなかった」のである

そこで人は「神」に頼るのではなく「人間を信じよう」という考えに変わっていった

「人」を信じれば創造的なアイデアを持った多種多様な人間が歴史の舞台に登場する

美しさをたたえそれを描いたり彫ったりする芸術家が現れる

聖書に頼るのではなく論理的で科学的な思考で真実を求める人間も現れる

お金儲けのために世界中を冒険する人間は一層元気になる

ダンテに始まりダ・ビンチやミケランジェロの芸術家たちであり

コペルニクスやでありガリレオ・ガリレイの科学者たちであり

コロンブスであり、バスコ・ダ・ガマであり、マゼランの冒険家たちである

ルターやカルバンは教会の権威を疑い宗教の教義を変えようとしていった

人類の近代化に貢献した人物の名前を数え上げたらきりがない

この個人を解放するという流れはさらにいろいろな分野で大きな流れを作って時代を変えていく

(「個人の尊重」の時代の到来)

一つはそれまでの支配者の持ち物であった人間を独立した人格者とし認めようという動きである

人間は生まれながらに人間として生きていく権利を有するという考えである

そのためには社会を自分たちで統治する必要を感じ始める

ジョン・ロックやモンテスキューやルソーのような思想家の果たす役割は大きかった

そして一人一人が生まれながらに持つ権利を実現するためはまず個人を支配する王侯貴族をなくさなければならないことに気が付きまず何よりもこれらの支配階級を打ち倒す運動が起こる

「市民革命の時代」がやってきたのである

市民革命は国により時代も内容も大きな差異があるが少なくとも多くの近代国家では経験した

そして自分たち一人一人が幸せになるために社会のみんなで契約をすることになる

そしてその契約書である憲法に従って国を動かしていこうという時代が来るのである

「立憲主義の時代いわゆる近代国家」の始まりである

人々は社会のみんなで契約をすることで憲法を作り自分たちで国を運営する権利を獲得したのである

自由主義や民主主義そして立憲主義の世界は「神」や「独裁者」が思うままに支配した時代からは想像もできないほど素晴らしい時代であることは誰にでも簡単にわかることと思う。

(資本主義経済秩序の台頭)

もう一つは個人をカトリック教会の厳しい掟(おきて)から解放した流れである

カトリックはそれまでの人間の活動に厳しいルールを課していた

たとえば利子をとってはいけない、お金儲けをすることは人間として恥ずかしいことであるなどと

ユダヤ教徒はイエス・キリストを認めていないことは知っていると思う

このことを理由に世界中のユダヤ教徒はカトリックの世界から迫害された

仕方なしにユダヤ教徒は卑しむべき金融活動に専念してしか生きる方法がなかった

今でも世界中の大金持ちにユダヤ教徒が多いのはそんな悲しい理由からである

カルバンはこの禁欲的な考えを解放した

世界中の多くのキリスト教徒がカルバン派つまりプロテスタントに改宗していった

そして経済的な豊かさ早い話が神に祝福されたお金儲けにまい進する時代が始まっていくのである

そして1765年頃のイギリスの産業革命により庶民の物質的な豊かさは飛躍的に伸びていくのである

スミスは「人が物質的な豊かさを求めて競えば最終的にはみんなの豊かさを導きすべての人々を幸せにする」と主張した

古典派経済学の誕生であり同時にスミスやミルを中心とした「自由」の時代が始まっていくのである

良くも悪くもこのような考え方が今日までの社会を形成していく原動力となっていくのである

「資本主義の時代」の到来である

政治的には「自由主義の時代」である

この流れは物質的な豊かさを求めて個人が「富」を追い求めることが今日までの世界を作り上げていく

利益を得るために様々な経済活動が始まっていく

利益を大きくするためにいろいろな産業上の発明がなされていく

「産業革命の時代」の到来である

発展した技術と大量化した製品の販売さらには原材料の供給を求めて先進国は世界中に乗り出していく

文化の発展が遅くおよそ武器とはいえるようなものなどを持たない国々は標的とされていく

まずアフリカそして南アジアさらには東アジアが富を求める人々や国家へ

この流れは遅れた国々を悲惨な状況に追いやった

いや過去形ではなく正確には今もその状態が続いているのである

強い軍事力をもつイギリスやフランスやオランダはその力をもとに世界中の弱い国々を原料材料の供給地としてまた作った製品の販売地としての支配を強めていく

いうことを聞かない民族や地域はこれらの軍事力がある国々に支配され植民地となっていくのである

「パイレーツ・オブ・カリビアン」という映画がある

これをただ滑稽な楽しい映画とみるかそれとも

この映画は帝国主義を面白くそして悲しく批判した映画だと読み取れるかで君の人間的評価は変わる

「帝国主義の時代」である

日本は幸運にも時の指導者である井伊直弼の英断があったから植民地化をまぬがれた

帝国主義と呼ばれる国々の中にも早く産業革命を起こし世界中を支配した国々と

ドイツのように産業革命が遅れた国々とで市場や植民地支配をめぐる争いが始まる

世界大戦の予感である

20世紀になると富を求める国々は貧しい国々に対して銃や財産を奪い取るだけでは事足りず

先進国通しでお互いの支配地域の分捕り合戦を公然とし始める

教科書では「2度の世界大戦」という章立てになっている

「第一次世界大戦と第二次世界大戦」の時代である。

総力戦というすべての国民を巻き込んだ先進国間の悲惨な大戦争の始まりである

二度というがその間は25年しかなく一連の帝国主義戦争と解した方がわかりやすい

正確な数字は分からないが第一次世界大戦ではおよそ800万人以上

第二次世界大戦ではおよそ9000万人の命が奪われていった

まだ100年以内のことなので身近なこととして理解できる人が多いと思う

1949年生まれの館長は長い間第二次世界大戦の被害者たちとともに生活をしてきた

戦争の恐ろしさや平和の尊さを身に染みて感じ平和を願って生きてきた

(資本主義社会とは)

資本主義社会とは個々人が持っている財産と技術をもとに自由に生産活動をし

自由に商売をしてお金儲けをして豊かに暮らせる社会である

キリスト教特にカトリックが支配する中世まではが世界中のどこにもない考えであり

イスラム教なども基本的にはこのような考えは許されていません

だからキリスト教徒はイスラム教を自分たちの考えにい合わないといって憎み

他方イスラム教徒はキリスト教徒の「欲ボケの醜さ」が許せないのです

この「欲望の体系」(ドイツの有名な哲学者ヘーゲルの言葉)と呼ぶべき資本主義の仕組みの中で

「人間」は豊かになろうとして懸命に努力を積み重ねていきます

そして産業革命という大きな技術革新が起こり富の蓄積の速さが広まり

国と国の競争が激化していくという宿命を持った社会である

この仕組みでは戦争が避けられないということは誰にでもわかるはずであろうと思う

第一次世界大戦や第二次世界大戦は起こるべくして起こった戦争であり

この争いは今も世界中で続いているのである

先進諸国の内部でも豊かな富を持つ人々と体一つの労働者との格差が広がり始める

一方では事業の発展のために安い労働力に頼って利益を上げて生き残ろうとする企業群

他方では少しでも賃金を多く獲得して豊かな生活を願う労働者との争いも始まっていく

19世紀は労働者の運動の世紀でもあった

血塗られた労働者への弾圧の歴史と無産者の激しい戦いは悲惨極まるものであった

ヨーロッパ先進国ではワイマール憲法として一定の範囲で労働者の利益も考慮した国も出来はじめる

世界に誇れる日本国憲法25条などはこの憲法をもらったものである

(資本主義でない社会は可能か)

他方ロシアでは貧富の差をなくすために労働者を中心の社会をつくろうという動きが起こった

ロシア革命でありソビエト社会主義共和国連邦でありその後の中国の中華人民共和国の建設である

しかしこの高潔で素晴らしいと思われた革命はことごとく失敗に終わる

それは誰がどのようにして企業を維持し国の産業を発展させるのかという経済理論の問題

社会への貢献に対して褒美なしに人間がやる気を起こせるのか

などの点で致命的な欠陥を持っていた

結局はどの国も独裁者による抑圧の政治に堕して希望とは裏腹に国民を不幸にする国になってしまった

ロシア革命を起こした旧ソ連は1991年に消滅し資本主義社会への道を歩くことになる

中国も20世紀後半からその建前とは裏腹に国家資本主義ともいえるような資本主義社会になっている

だから欠陥は多いにしてもやはり自由な行動と豊かさを求め溶離する人間の心理に合った資本主義

古い言葉では「プロテスタンティズム」は前提としなければならない

少なくとも今の時代に「新しい経済システム」を求める経済学者は多い

しかしはっきりとした未来はまだ描かれていない

(資本主義周辺の国家群)

他方旧植民地であるアフリカや西アジアは産業革命以降ヨーロッパ諸国に破壊されつづけたままである

黒人奴隷の時代から、土地も、資源も、人間も略奪され続けられるままの歴史である

現在の北アフリカや西アジアの貧困や開発独裁やその他の混乱の原因を作った大もとはイギリスでありフランスでありオランダでありベルギーである。今も資源の争奪戦の中でアメリカ、EU、日本、中国、ロシアの先進諸国にいじめられっぱなしで、国際連合が少しは力になっているが、国連もアメリカなどの世界の支配国の都合で動く側面が大きく、十分に機能を果たせていないのである。たとえばスターバックス・コーヒーがアフリカでしている地元の産業破壊(別のところに掲載)や国家略奪の姿を見ているからアフリカではアメリカに対するテロが多いのである。日本のニッキという会社の社員が殺されたのもアフリカの人から見れば同じように自分の国を破壊していると見えたからである。確かにこれらの会社は地元の発展には尽くしているようにも見える。しかしそれ以上に自分の会社が儲かるからそのようにしているのである。どのように公平な目で見ても「自分の会社の発展のほうがその国の発展よりも大切である」と考えていることは誰にでもわかることであろう。

「サイクス=ピコ協定」で考えられていたことや「バルフォア宣言」についての知識が少しでもあるならニューヨークのテロ事件や最近のISイスラム国の行動にも理解できるはずである

とても許せる行為ではないが、自暴自棄になっている人々の気持ちだけは理解できないこともなかろう

だからヨーロッパの移民の国からイスラム国に行って共に戦おうという若者がふえているのである

アフリカのマリの難民が地中海に押し寄せているのもヨーロッパに移民が多いのも長年のフランスの政策に責任があるともいえる

(国際連合の可能性)

二度の世界大戦後このような悲劇を繰り返さないように国際連合が設立された

貧しい国々の救済のためにいろいろな期間を設けている

この国連はこれまでに多くの実績を上げてきた

未解決の問題は山ほどあるがそれなりの成果は上げてきた

このようなことから君たちは

現在は先進国がお互いに助け合い話し合って情報を交換しあい

悲惨な戦争を避け得る時代になっているように見えるし

世界の貧富の格差もいっそうの経済の発展でいつかはなくなるであろうと考えていることと思う

そうであることを望みたい

アダム・スミスが言ったように「神の見えざる手に導かれて」みんなが幸せになれるはずであったから

しかしまだ世界はそのようにはなっていない

日本国憲法は国際連合による世界をイメージして作られた憲法である

しかしながら世界はまだその理想とはほど遠い状態にある

しかし国連の先を行く日本国憲法は守っていかなければならないのである。

(理想と現実のはざまで)

君たちのお父さんお母さんは厳しい労働環境で懸命に君たち子供を育てるために我慢をして働き

コンピューターや労働管理システムが徹底して、休む間もなく密度の濃い仕事を要求している

一部の管理職や専門職独占企業の従業員など除いて十分な賃金を得ているようには思えない

老後の安定や生活の豊かさを保障されることもなく

多くの人が今後もパートタイマーとして働き続けるであろうと思われる

これだけ機械や技術が発展しているというのに

これだけ安価に食品や衣料や家屋がつくれる時代なのに全く豊かになれない

心も体もゆったりとはできない

何かおかしいと思いませんか

実は今の世界は100年前の時代と全く変わらないのである

企業は存続をかけて毎日厳しい戦いを強いられている

会社の倒産のニュースを聞くことや近くの店がいつの間にかなくなっているという経験があると思う

世界の中で戦う多国籍企業は政府の力を借り他国の会社や国家の政策と戦う日が続いている。

昔も今も企業戦士でありその活動範囲が世界中に広がっているだけなのである

優雅な外観とは異なり企業家も神経をすり減らす努力をしているのである

一つの契約の成否が一つの国の繁栄に直接かかわってくるのである

武力を使わないが世界の富をめぐる情報戦争は第一次世界大戦や第二次世界大戦の時よりも厳しい

君たちの目にはまだ見えないと思う

しかし自分で事業を始め会社に入って働き始めると今の時代がどういうものかわかると思う

すべて世界はこれまではアメリカを中心に動いてきた

戦後アメリカはパックス・アメリカーナと呼ぶ繁栄を謳歌してきた

世界一の軍事力と資本力を持つアメリカは日本やヨーロッパに君臨するために

ありとあらゆる手段を用いて自国の繁栄に血眼になってきた

日本のバブル経済とその後の破たんは強くなった日本をアメリカがつぶそうとした結果である

グローバリゼーションという言葉は早い話が世界中をアメリカ中心の経済システムにしようというものなのであると考えてもよい

今や世界はアメリカ・EU・日本のグループとロシアのグループと中国のグループとの三つ巴の戦いの状況にある

さらにアメリカはロシアをつぶしアメリカの経済的な支配下に置こうとしているのは明白である

それがウクライナ問題である

だからロシアの忍耐力が限界を超えてプーチン大統領がブチ切れて核戦争が発生するのは怖い

先月NATOから脅されEUに追いつめられたプーチンは「核兵器をEUに向けて設置する」と宣言した

中国もアメリカが日本やEUを従えて世界支配をしようという動きに抵抗して

西アジアやアフリカそして南アメリカに中国の経済圏を次々につくっている

AIIBは中国版IMFである

南シナ海ではベトナムやフィリピンの主権を平気で侵略しているのも同じ理由である

今や世界は二度の世界大戦と全く同じ状況にあることを理解してほしい

知っていると思うがコンピューターを使った各種の戦いの激しさや効果は絶大である

オバマ大統領は外面の温厚さとは裏腹に情報戦争ではNSAでわかるようにひどい戦争をしているのです

どうして?なぜそんな争いをする必要があるのだろうか?

それは先に述べた資本主義社会という競争社会の仕組みに欠点があるからである

「資本主義の社会では個人でも会社でも他人や他の会社よりも大きな利潤を上げないと存続できない」という宿命を持っている社会だからである

だからと言って、新しいよりよいシステムは見つかってはいない

(館長はケインズやロビンソン女史が唱える完全雇用と福祉優先の社会を目指しているが…別掲)

しかしこのままでは資源が枯渇し環境が破壊されて地球上に人が住めなくなる日は近くなる

人間の心もそんなに強くないので優しさや思いやりの気持ちがいつかは無くなってしまうかもしれない

私が尊敬する宇宙物理学のスティーブン・ホーキングもフランスの政治学者のジャック・アタリも社会学者の見田宗介先生も「人類はもうそんなに長くは存続しえない」と発言している

そうなってもよいのであろうか

(あなた達「自分たちの力」であなた達の「自分たちの時代」を創るのです)

さあ勉強しよう

そして世界中の人々が共に栄えて豊かにそして仲良くできる社会を探し求めようではないか

君たち一人一人が生まれてきてよかったという人生を過ごせるような社会をつくろうではないか

この長い文章では人間の歴史の概略を述べてきた

理由は「人類は確実に進歩してきたこと」を示したかったからである

しかし今も欠陥だらけの世界である

確かに欠陥だらけといっても今の時代は昔に比べると夢のような時代である

ということはこれから先もっと良い時代が作れるはずであるということができる

しっかり学びましょう

世界中の人々と話し合い

心や考えを通じ合わせて

自分も世界中の人々も幸せになり

不自由がなく暮らせる

次の時代を築くために

このHPの「館長の社会論サイト」ではどのような意識でどのような書物を読むことで正確で公平で力のある知識を得られるかの資料を分野別に提供するものである。参考にしてほしい。

「真実を知る」という明確な目的をもって

「宇宙物理学」「自然科学」「環境問題」

から始めよう

     今後何度も加筆と修正をしますのでご理解ください。