福岡基本学習セミナー 志成館

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館長の社会論 社会に臨む準備

社会に挑む準備段階としての知識と教養

 「現在の社会のひどい姿」の項で、現代社会にはいろいろな楽しみがあるものの、多種多様な困難が存在することも少しはわかったと思います。君たちも今の「社会」との関係で日々いろいろなことで悩んでいることがあると思います。そこでこれらの困難とどのように立ち向かい、どのように考え行動するべきかという難問について考えるにはどのようにするべきかを伝えます。

まず一番大切なことは、世の中に起こっているいろいろな出来事の真実をありのままに知ることであると言えるでしょう。

しかしこのことはとてつもなく困難なことであり、厳しいものであると言えるでしょう。一人の先生として、君たちにまず取っ掛かりの糸口になればと思ってこのホームページの項をはじめます。
世界大恐慌の時のアメリカ大統領のフランクリン・ローズベルトのことは誰でも知っていると思いますが、その時の経済政策のリーダーが、近代経済学という学問分野の一理論である「ケインズ理論」を発案したジョン・メイナード・ケインズという名前のイギリスの経済学者です。かれは有名な「雇用と利子に関する一般理論」(下掲)の中で、「どのような経済理論をとるかで社会は一変してしまう、経済学理論はきわめて重大で、誠実な人間がその責任を担うべきである」と言っています。つまり「多くの人間が、人間とは、世界とは、自然とは、宇宙とは、そして幸せとは、豊かとは何かなどについて誠実にそして哲学的に学ぶことによってしか、平和で豊かな社会は望めない」と最後に書いています。そこで彼は「自分の事しか考えない人間や自分の企業の発展の事しか考えない強欲な人間や企業に世界のかじ取りは任せられない」と主張しているのです。さらに「諸国民の富」を書いて自由主義経済理論を唱えた、資本主義社会の最初の経済理論家であるアダム・スミスさえも彼の「道徳感情論」の中で、富裕層と貧困層が分かれ、大半の人々が貧困層に含まれ、独占が進み、自由がない「今のような富裕層と貧困層が分かれるような社会を認めた覚えはない」と墓の中で怒っていると思います。さらに「資本論」を書いて資本主義社会の構造そのものがペテンであると喝破したカール・マルクスは、墓の中で「そら見たことか、言わんこっちゃない」と軽蔑のまなざしで今の人間を見ていることが容易に想像できます。

君たちは、彼らの理論を学び、それを乗り越え、彼らが予想もしなかったような今の時代をしっかりと把握したうえで、世界中のみんなと協力して、学び、悩み、深く哲学的な思考をしながら、新しいより人間らしく住みやすい社会つくり上げるのが君たちの時代の仕事なのです。そのために基礎からしっかりと各種の理論を偏りなく学んでいくことが大切になります。

さあどこから学習をはじめ、知識と教養を身につけ、どのようにして次の時代をつくっていける人間に自分を作り上げるのか考えてみましょう。

まず最初にすべての「学問の大系」はどのようになっているのかを考えてみましょう

そこでまずはじめにジョン・スチュワート・ミル「大学教育について」という本の紹介をします。現在の欧米や日本などの先進国の「大学の学部や学科の構成」はじつは彼のこの本が基礎になっているのです。この本を読めば言葉の正しい意味での幅広い教養や知識というものが何を指すかを把握できると思います。大学での学問=科学は大きく分けて、人文科学と社会科学と自然科学の3分野に大別されます。どこの大学でもよいかと思いますが、国立の全学部が整っている総合大学の学部の構成を見てこのことを理解してください。そうしてこの3つの分野のどこの学部のどの学科に行けば何が学べるかを把握してください。そうすると「学問の大系」が理解できます。館長の大好きな大書店であるジュンク堂に行っても「学問の大系」がわかりますし、大きな図書館でも把握できます。このように学問の大系全体を把握することがまず大前提になります。大学に入学したあと、たいていの大学では「教養課程」という初期の学習段階がありますが、そこではこの学問の大系を理解してほしいということから、文系理系にかかわらず、すべての分野の学習をさせるのです。

そこで真の意味での幅広い教養や知識を身につけたいのなら、大学の1~2年の時に、学校のカリキュラムか彼の体系に沿ってまんべんなく広く学習することが最優先事項となります。早く専門的な知識を身につけたいと焦らずに、まず幅広い教養を身につけることを最優先するのです。立花隆さんから「今の東大生はバカになった」などといわれないように、お金にならない知識であっても何よりも幅広く学習するようにも頃掛けてください。そしてそのあとで、自分の専門分野の学習や研究にはいいっていくのです。

ミルがこの本の中で述べている「幅広い知識」こそが真の意味での「教養」と呼ぶに値する知識なのです。繰り返しになりますが、多くの大学に「教養課程」があるのは、この意味での教養を身につけさせるためなのですからこの時の学習をいい加減にしてはいけないのです。「今の東大生はバカになった」とよく言われるように、今の若い世代はアルバイトに精を出し、ゲームやコンパに追われているので、「教養を身につける」機会や意思や金銭的そして時間的な余裕がなくなったように思うのは私だけではないでしょう。

志成館では小中学生に「教養」を身につけさせようと悪戦苦闘しているのですが、これもまたある意味では、基本的知識さえを持たない人間に高度の知識を与えようという、無謀な指導であると、館長の森もわかってはいるのですが、館長には少し情熱がありすぎて本人も困っているのです(笑)。

ミルの本の概略を載せます

ジョン・スチュワート・ミルの名著「大学教育について」から

本日はジョン・スチュワート・ミルの本の紹介です。彼は多くの人々から人類史上最も素晴らしい人物の一人であると評価されていますが、この著作は名高き「セント・アンドルーズ大学名誉学長就任講演」の内容です。文学、自然科学、社会科学、道徳教育、芸術などの一般教養科目の意義を述べ、真理に基づいて正しく行動する意思の涵養(かんよう=養いそだてること)の大切さを説いており大学教育の原点について述べています。

彼はこの講演で「大学教育」の核心部分は「教養の育成である」と主張しています。大学での学習の前提となる基礎科目は中学や高校時代にすでに学んでおり、法学や医学や諸種類の専門科目ないし技術的な知識は大学以降にすればよいのであり、大学時代は、子供の時から学んだことやこれから習う知識を体系化し、そして自分の持つ知識を今後の人生で如何に使うかを学ぶ場所であると言っています。彼の言葉を借りると、大学とは、知識そのものではなく「知識の哲学を学ぶ場所」であるというのです。専門的な知識をいかにして「個人の精神の発達と民族の福祉に貢献させるか」「我々すべてに共通する人間性の強化、高揚、純化、洗練させるという目的に到達させるために使うか」を学ぶ場所であり、「人間が一生なすべき仕事に必要な精神的道具を供給するためにはいかに協調しあうべきか」を哲学する場所であるというのです。つまり大学生1年ないし2年の「教養課程」こそが大学教育の本質的な部分というわけです。当時私はそんなことがわかるはずもなく、「無駄なことをしないで早く専門的なことを教えてくれるように」と九州大学の教授に発言したことがあります。そんな折、会計学ゼミの服部教授が、「森君は何のために大学に来ているの」と聞かれたときに、「公認会計士になろうと思っています」と答えたら、「そんな目的で技術的なことを勉強するのなら、国立大学に来るべきではない、早稲田とかの私立大学に行きなさい」と言われた経験があります。一瞬驚きました。おそらく九大では公認会計士や弁護士には合格できにくいからそれが可能な大学に進みなさいという親心もあったのでしょうが、真意はすぐに理解できました。「技術的な知識は真の学問とは言わない」といわれたのです。それ以来私の、学習する理由は変わってしまいました。私の人生にとってこの経験が良かったのか悪かったのかは別にして、今でもこの教授の教えを大切にしています。先生が言われたのはこのジョン・スチュワート・ミルの考えそのものなのです。

ミルは勉強のし過ぎで精神病にかかりますが、それを治癒してくれたのが日本でも有名な詩人ワーズワースの詩集でした。そのことが彼の哲学に大きな影響を与えています。詩や和歌や俳句や古典などの人文科学が彼の人生を救ってくれたのです。成績が優秀で高度な知的仕事や責任ある仕事に従事する可能性が高い生徒ほど、絵や音楽だけでなく、文学などが大切であるのではないかと考えています。志成館の館長の私が「いい音楽を聴きなさい、美しい絵を見なさい、遠くへ出かける時にはいつも窓の外を見てゲームなどをするのではありません」といつも言っているのはこのようなことがあるからなのです。「願わくは、国の指導的立場にある人たちが、もう一度この知者の書物を読みなおしてくれることを」です。

私の個人的な意見として正直に申し上げますが、彼ら日本の愚かな指導者やいつもお金のことや株価などを気にして生活している強欲な企業家は、このような本を読んでいないのだと思います。つまり知識はあっても教養がないのです。ミルの言葉によると「無知のまま大学に入って、無知のまま大学を出て行っている」のです。もし彼らに少しでも本当の知識ないし教養があれば、今の文部科学省のような、人文科学や社会科学のカリキュラムを減らすなどという愚かな考えは浮かばないと思います。とくに政治的傾向や経済政策的な理由で真実があいまいにされ、人類の将来に暗雲が感じられる現代、そしておびただしい物質が飛び交う現在の文明の中で、もがき苦しんでいる子供たちの指導をしている私の経験からしても、むしろ子供の時から理数重視だけではなく人文科学や社会科学も重視する教育方針に変えていくべきであると強く感じております。   

2015年11月 森 英行

「館長の社会論サイト」の目的は、「良書を幅広く紹介していくこと」なので今後館長が生きている限り(笑)、書籍の紹介を、「本の表紙の張り付け」という形で補充し続けます。よろしく。

学習するということが何なのか、幅広い教養や知識の意味が分かったら

次はいよいよ「具体的な学問の」話に進みましょう

この後、館長の社会論サイトでは、「学問の大系」を少しずつ項目に分けて話します

まず「神への丸投げの人生をしないこと」が要求されます

→「神を乗り越えて人を信じよう」の項へ